Snapchat、追放されたもう一人の創業者の物語

Onebox News·

LA County Superior Court

SnapchatがIPOに向けての関係資料が開示された。そして、そこからSnapchatがある人物と和解していたことが明らかになった。

エヴァン・シュピーゲルとボビー・マーフィー、Snapchat(現Snap)の創業者として知られる二人だがSnapchatには実はもう一人の創業者が存在していた。彼らの歴史の中からは消えた彼はSnapchatの最大の機能であった「消える」という重要なアイデアをもたらした人物だ。そして、シュピーゲルとマーフィーのように数十億ドル(約数千億円)もの富や栄光、名声を得る可能性のあった人物でもある。だが、そうはならなかった。

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3人の創業者

レギー・ブラウンはサウスカロライナ州の小児科医の息子として生まれ2人(シュピーゲル、マーフィー)と同じくスタンフォード大学に通っていた。2011年のある夜、彼は「送ってから数秒後に写真が消えるアプリ」というアイデアを思いつき、キンボール・ホール寮で友人となったスタンフォード大学でプロダクトデザインを学んでいたエヴァン・シュピーゲル(現在のCEO)に話し、シュピーゲルはこのアイデアを「100万ドルの価値がある」と言い、二人はこれを作るための作業に取り掛かった。

最初の創業者はレギー・ブラウンとエヴァン・シュピゲールの2人だけだった。その日の夜、二人はアプリの開発に参加するコーダー(エンジニア)を探した。そこで加わったのが以前シュピーゲルが「失敗したプロジェクト(ヒューチャー・フレッシュマン)」で共に働いた友人のボビー・マーフィーだった。同じくスタンフォードの学生でコンピューターサイエンスを学んでいたマーフィーはコードを書き、アプリの立ち上げを手伝ったという。

プロジェクトが進むにつれて彼らの役割ははっきりしてくる。シュピーゲルがCEO(最高経営責任者)、ブラウンがCMO(最高マーケティング責任者)、最後に入ってきたマーフィーはCTO(最高技術責任者)だ。彼らはお互いを「兄弟」と呼び合うような仲になっていた。

ブラウンが最初に取り組んだことはロゴを作ることだった。そして生み出されたのがあの有名なゴースト(おばけ)のロゴだった。(ロゴは現在でも多少の変更は行われたが、今でも彼らの象徴であり「数百万ドル」以上の価値を持つアイコンでもある。)

3人はその年の夏に南カリフォルニアにあるシュピーゲルの父(弁護士)の家に3人で移り、開発を続けた。この頃からシュピーゲルとマーフィーがとても密接なペアになったことにブラウンは気付いた。そして、2011年7月8月にアプリが初めてAppStoreに登場した。(当時はPicabooという名前だった。)

ティーンエイジャーたちは直ぐにこのアプリに夢中になった。友達間でのふざけた写真や保存されたくない性的な写真を送り合うために使われ始め、利用者は急激に増加し始める。(当初はポルノコンテンツの共有がとても多かったそうだ。)

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Snapchatの誕生を祝う3人。右からレギー・ブラウン、ボビー・マーフィー、エヴァン・シュピーゲル。

7月17日、3人はロウソクの立ったケーキでSnapchatの誕生を祝った。ケーキにはブラウンがデザインした「あのゴースト」が描かれ、シュピーゲルの彼女が肩を組み祝う3人の写真を撮った。(後にこの写真はシュピーゲルとマーフィーが「ブラウンは創業において重要な役割を果たしていない」という主張を否定する証拠なった。)

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対立

Snapchat

レギー・ブラウンがデザインしたお化けのロゴはSnapchatの象徴であり、アイコンだ。

Snapchatが急速に成長するなかでコピー製品が世の中に出回ることを恐れたシュピーゲルはブラウンに特許の出願を依頼した。この時、誰もがこのアプリの成功を確信していたという。息子たちが作ったSnapchatの成長にシュピゲールの父親は興奮したという。そして、シュピゲールの父もこのアプリが彼ら3人の共同プロジェクトだと思っていたという。

だが、8月頃からシュピーゲルとマーフィーには心境の変化が起き始めた。このアプリの方向性を巡ってシュピーゲルとマーフィーがブラウンと対立したのだ。当時、セクシャルな写真を送ることに多く使われていたこのアプリをブラウンはセクシャルな写真を送り合う為のアプリという方向性で行くべきだと考えたのに対し、二人は反対した。ブラウンによるとその頃からシュピーゲルとマーフィーはどうやってブラウンを穏便に会社から引き離すかを議論し始めたという。元々、3人はプロジェクトを始めた頃に会社を設立した。住んでいたストリート(通り)の名前から取られたというその会社は「トヨパ・グループ」と名付けられた。(ブラウンは社名を思いついたのも自身であると主張している。)

しかし、実態はシュピーゲルとマーフィーが共に取り組み失敗した前のプロジェクトの会社の名前ヒューチャー・フレッシュマンをトヨパ・グループに社名変更しただけでSnapchatの保有者であるトヨパ・グループの株主の中に3人の創業者の一人レギー・ブラウンの名前はなかった。トヨパ・グループはエヴァン・シュピーゲルが60%、ボビー・マーフィーが40%を支配する会社だった。(ブラウンによると最初に書類が作成されたとき、会社は3人で所有するということになっていた。)

2人はブラウンを追い出そうとしたが、8月の上旬、ブラウンから会社を出て行くつもりはないという決意を聞いたとき、3人の対立は決定的なものとなった。

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追放

2011年8月11日、ブラウンは以前シュピーゲルから依頼されていた特許の出願を行った。そこにはエヴァン・シュピーゲル、ボビー・マーフィー、そしてレギー・ブラウンを共同制作者として挙げている。彼はそのコピーを二人には渡さずに持っておくことにした。

3人はその後も(同じ家に住んでいたが対面ではなく)電話会議で口論を繰り返す(ブラウンは2階に住んでいた。)、シュピゲールはブラウンが特許のコピーを渡さなかったことを問いただし、ブラウンは会社の時価総額がどれだけのものになっているのかとシュピゲールに迫る。マーフィーは殆ど発言することなく、ただ聞き続けた。

だが、その後シュピーゲルはブラウンがSnapchatのアイデアを提供し創業で一定の役割を担っていたことを認めるが、それでも彼が会社の所有者の一人であり株式を所有する権利があることは決して認めなかった。

そして、その後シュピーゲルとマーフィーはSnapchatのサーバーのパスワードを変更し、ブラウンは締め出された。ブラウンは持ち物の幾つかを残したまま家を出て行った。ブラウンとシュピーゲル、二人の創業者の関係はここで終焉を迎えた。

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和解

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CrunchBaseの情報ではPicabooのCMOとしてブラウンの名前がある。

その後、しばらく経ったのちレギー・ブラウンはエヴァン・シュピーゲルとボビー・マーフィーを相手取り遂に訴訟を起こした。

レギー・ブラウンは会社の名前、有名なゴーストのロゴ、そして、Snapchatの決定的な特徴であるアイデアに深く関わっていた。だが、アイデアは誰にでも持つことが出来る。これが彼にとって不利に状況を作った。実際、ブラウンがアプリのコードを書いたり開発に携わった形跡はない。コードを書いたのはシュピーゲルとマーフィーだった。だが、それでもなおブラウンは重要な人物であった。なぜなら特許出願に関する知識を持っていたのは3人の創業者のうち、彼一人だけだったからだ。

和解に至るまではその後も長い道のりだった。3人の創業者は何度もお互いを非難し合い、争い続けた。そこには、かつて共にアメリカ・ドリームを夢見、お互いのことを兄弟と呼び合うほどの友であったあの日の姿はもうどこにもない。そして、2014年についにSnapchatは3人目の創業者レギー・ブラウンに現金で1億5750万ドル(約177億円)を支払うことで和解に合意し、2014年に5000万ドル(約56億円)、2015年に1億750万ドル(約121億円)を支払った。

177億円、一見これは大きな勝利に見えるだろうが二人の創業者と共にSnapchat(当時はPicabooという名前)を立ち上げ、その核となるアイデアや社名、そしてあのお化けのロゴを生み出した彼が得たものは時価総額250億ドル(約2兆8146億円)の企業のたった1%にも満たない額だ。彼が失った共同創業者としてのキャリア、あるいは名声や兄弟とまで呼び合った友との友情を癒すには余りに儚いものだったというのは言うまでもない。

そして、彼が今どこで何をしているのか、それは誰も分からないという。

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近く二人の創業者エヴァン・シュピーゲルとボビー・マーフィーは文字通り一夜にして億万長者となる。時価総額250億ドル(約2兆8146億円)を誇る企業の45%を保有する創業者、大株主として。そして、その中にレギー・ブラウンの名前はない。

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